南都 十輪院 奈良市十輪院町27 TEL.0742-26-6635

こころの便り

仏性の自覚

令和6年1月1日

謹んで新年のご挨拶を申し上げますとともに、昨年も当山への多大なお支えとご理解を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。
弘法大師さまは「般若心経秘鍵」という著書に、「仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し」という言葉を残されています。「仏の教えは遠くにあるものではありません。実は誰もが生まれながらに仏であり、それにただ気が付けばよいのです」という意味の言葉です。


では、どのようにして私たちは“それ”に気付くことが出来るのでしょうか。
昔、伊予の国を治めていた一族に、衛門三郎という欲深い男がいました。托鉢に現れたみすぼらしい身なりの僧を弘法大師と知らず、何度も追い返し、最後には托鉢の鉢をたたき割ってしまいます。その後三郎の子が皆亡くなり、夢でその僧が弘法大師であったと知ります。三郎は懺悔の気持ちから、全てを捨てて、大師に会う為、四国巡礼の旅に出ます。21回目の巡礼で病に倒れたところで大師に会うことが出来、先の非を泣いて詫びます。大師が「何か願い事はありますか?」と尋ねたところ、三郎は「来世でも同じ一族に生まれ、人の役に立ちたい」と言って息を引き取りました。大師は石に「衛門三郎」と書いて、三郎の左手に握らせました。


翌年、三郎の一族に男の子が生まれますが、その子は左手を固く握って開こうとしません。心配した父親が寺で祈祷してもらったところ、ようやくその子は手を開きました。その左手の中には、「衛門三郎」と書かれた石があったそうです。


私たちは人間であるがゆえに、何かに執着してしまいます。もしその何かを「喜んで与えた」と捉えることが出来ず、「奪われた」と感じてしまった時、憎しみの連鎖が始まります。また後悔することがあっても、救いを自分の外に求めて遠回りしてしまい、本当の救いになかなかたどり着けないということもあります。自分自身の中にある“仏性”に気付くためには、自分で自分を決定できる力を信じ、過ちを認める辛さとその先の救いが内なるものであることを自覚する必要があります。


本年も日々、懺悔と感謝のお勤めを続けさせていただき、一人でも多くの方がご自身の内なる“仏性”を輝かせる世界を祈念させていただきます。


十輪院 住職 橋本昌大

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