手のひらつまり掌(たなごころ)を合わせることを合掌といいますが、その姿を見て嫌な気持ちになることはまずないと言っても良いでしょう。自身も合掌することによって気持ちが素直になれる不思議な力を合掌は持っていると思います。
日常生活の中で、私たちはどのくらい合掌をするのでしょうか?もちろんほとけ様を拝む時はそうですが、食事の前後の「いただきます」「ごちそうさま」を言う時、人にお願い事をする時、挨拶する時、感謝の意を表す時、そして謝る時など様々な場面で用いることができます。
しかし、一日を振り返ってみると、手を合わせることがいかに少ないかが実感するのではないでしょうか?家庭に仏壇や神棚があればその機会もありますが、拝む場所がなければ手を合わせることもありあせん。かろうじて食事の時にするくらいでしょうか?それも祈るでもなし、軽い感謝の意くらいかも知れません。
仏教では、右手はほとけの手、左手は自分と意識します。掌を合わせることはほとけと自分が一体になることを意味しています。つまり、自分がほとけのような清らかな境地に至ることを意識するための合掌と言えます。
私たちはついつい自分中心に物事を考え、判断しがちになります。手を合わせることによって、相手に対しての尊敬や感謝の心を思い起こさせることができます。それは自分のこころを見つめることが出来るからでしょう。
東南アジアの仏教国では挨拶の時、合掌するのをよく見かけます。インドでは「ナマステー」と言って合掌します。これは、「あなたに礼拝します」と言う意味です。相手のこころにほとけの性質(仏性 ぶっしょう)があると観じ、尊敬、敬礼を表します。
本当にそのような意識があれば、争い事は起こるはずがありません。しかし、人間社会には利害関係があり、思うようには行きませんが、少しでも合掌する機会が増えれば、気持ちが穏やかになり、自分の周りの世界が変わると思います。
十輪院 住職 橋本純信
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