南都 十輪院 奈良市十輪院町27 TEL.0742-26-6635

こころの便り

嘘(うそ)と懺悔(さんげ)

平成29年6月4日

人は意志の伝達として言葉を持っています。便利なようですが、功罪相半ばします。嘘は良くないと分かっていても言ってしまいます。しかし、「嘘も方便」ということもあり、使い方によっては役に立つこともあります。


仏教では、嘘のことを妄語(もうご)と言います。語源をたどると、女に目がくらんで道理が見えない状態で発する言葉ということになります。妄言、妄想、妄念、妄執も同じようなことかも知れませんが、一般的にでたらめ、偽り、無分別と解しています。


仏教徒の基本的な戒律には、五戒、十戒、八斎戒というのがあります。その中に不妄語戒というのが必ず入っています。出家者の妄語は四重禁戒のひとつとされ、教団追放処分になる重罪です。これは悟りを得ていないのに悟ったと嘘をつくことに対する罪です。


旧約聖書のモーセの十戒にも「偽りの証言をしてはならない」とされ、新約聖書マタイ福音書にも「偽証をたてるな」とあります。バラモン教やヒンズー教のマヌ法典にも「証言者は嘘を発すると有罪」とされています。


このように嘘は人類に付き纏う実に厄介な悩みの種であります。科学万能の現代では証拠がないと嘘はまかり通る世の中です。「お天道様が見ている」とか「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」という言葉がありますが、今では死語になりつつあります。しかし、仏教では嘘をつかないようにする方法が説かれています。


死後の世界では、閻魔様の前で生前の行いを調べられます。嘘をつくともちろん舌を抜かれるのですが、その判断には閻魔帳と浄玻璃鏡(じょうはりきょう)が用いられます。人はこの世に生を受けると、両肩に倶生神(くしょうじん)が二人乗って来ます。死ぬまで一緒です。男神はその人の善い行いの記録を付け、女神は悪い行いを記録します。死後に記録は閻魔様のもとに届けられ裁きを受けます。これが閻魔帳です。しかし、それに対して反論しますと、今度は閻魔様は浄玻璃鏡を見せます。そこには生前のすべての行いがビデオテープのように映し出されます。これが動かぬ証拠となり罪状が決められます。


このような話が言い伝えられてきました。子供の頃から聞かされてきた者にとっては、いつも頭の片隅に閻魔様がいて、嘘は良くないことという気持ちを持ち続けています。しかし、多かれ少なかれ人はだれでも嘘をつきます。そのような時には懺悔(さんげ=反省)というのがあります。仏教では懺悔はとても大切な行為です。これを忘れてはなりません。


十輪院 住職 橋本純信

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