先祖供養では年忌法要というのがあります。一周忌、三回忌…と続くのですが、なぜか一般的には五十回忌が最後のように思われています。
いつからそのようになったかは定かではありませんが、明治のころは三十三回忌で終わる習慣だったようです。
それは人の一生の長さと関係するのかも知れません。明治時代は人生50年と言われました。近年では人生80年、90年に伸びています。いずれも三十三回忌、五十回忌は祖父母の法要となります。
昨年末、檀家様のご先祖の百回忌法要に参りました。天保11年生まれで明治43年に亡くなった人です。法事の席には小さな子供たちも参加しています。彼らから見れば、故人は5代前の先祖になります。
このような法事はめったにありません。驚いたことはもう一つ。その法事の席に、故人の出里の家の人の参加があったことです。いまでも付き合いがあるといいます。故人にとっては、この上ない喜びでしょう。
最近は法事の簡略化、省略化が進んでいます。三回忌くらいまでは行うが、それ以降は省略といったケースや、祖父母の顔は見たことがないので法事はしないという人もいます。 せっかく人生80年を生き抜いてすぐに忘れ去られてしまうのは、何とも寂しいとは思いませんか?
法事は故人の供養が目的ではなく、自分自身に生きていく力を与えてくれるものです。いつまでも思い出してくれるのなら、苦しい人生をも耐えていく価値があると言えるでしょう。
十輪院 住職 橋本純信
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