南都 十輪院 奈良市十輪院町27 TEL.0742-26-6635

こころの便り

河童の雨乞い

令和5年5月25日

当山の山号は『雨寳山(うほうざん)』と申します。法事にご参拝いただいた日が雨天だった時、私から「十輪院は雨にはご縁のあるお寺なんです」とお聞きになられた方も多いと思います。かつて密教でも雨乞いの修法が盛んにおこなわれていました。前々号の「やすらぎ第4号」でご紹介させていただいた、日本昔ばなし「河童の雨乞い」を私が大好きな理由をお話しさせていただきます。


ある村で河童が現れ、畑を荒らしたり村人に危害を加えたり、村人は困っておりました。河童の悪事を聞いた旅のお坊さんが、河童に会いに行き、悪事を働く理由を尋ねると、河童は河童に生まれたことに生き辛さ感じており、人間に生まれ変わりたいと言いました。そこでお坊さんは河童に、次の世で河童より悪い世界に行かないように、少しでも良いことをした方がいいと諭して去ります。その後、ひどい日照りで村人が雨乞いをしていると、河童が現れて「私に雨乞いをさせてくれ」と申し出ます。村人は、日頃の恨みから河童を袋叩きにしてしまいますが、それでもという河童を櫓の上へ登らせます。河童は天に向かって、「神様、村人たちは皆正直者です、私は死んでも構いませんので雨を降らせてください」と祈り続けます。数日後、雨は降りますが、河童は息絶えてしまいます。そこへお坊さんが戻ってきて、村人はお坊さんから河童がなぜ雨乞いを申し出たのかの理由を聞き、「それならあの河童は間違いなく人間に生まれ変われるだろう」と村人は口を揃え、河童を弔う塚を作り、語り継いだというお話です。


このお話は、めでたく雨が降りましたというお話でもなければ、めでたく河童は人間に生まれ変わりましたというお話でもないと思います。お坊さんの方便によって、人間の河童に対する恨みと、河童の生きる苦しみや人間への妬みとが、ともに滅除されたところにお智慧が込められていると思います。雨は自然の摂理でいつかは降ります。しかし、人間の怒りや憎しみは、自然に治癒することはありません。私も菩薩行における智慧と慈悲の実践に精進する立場でありたいと思います。


偶然にも、当山の境内池には、夫婦の河童がいます。私の祖父が置いたものですが、祖父が境内に置いたものは他にも信楽焼のタヌキや、沖縄のシーサーなどがありますので、「河童の雨乞い」の昔ばなしを知っていたかどうかは定かではありません。ご参拝の方は「ユニークなご住職さんがいらっしゃるのかな?」と思われるかもしれませんが、私はこの河童を見て、現代に通用する方便を考えています。


十輪院 住職 橋本昌大

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