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こころの便り
2014/09/03
供養は誰のためにするの?

「終活」という言葉が4~5年前くらいから使われ出し、今や世間に認知された言葉になっています。これは自分の死後、子供たちに負担や迷惑をかけたくないので、生前に葬式や墓のことを自分で決め、費用の準備をしたり身辺整理をしておくことを言います。身辺整理はともかく、自分の葬儀や墓の準備までしないといけない「自己完結型人間」の時代になりました。

かつては、葬儀を出すのも、墓を建てるのも子供の役割とされていました。それで親は安心して死ぬことができました。平成に入って逆転、現代人は死後のことまで自分で準備し、生きるも死ぬも自身の負担が大きくなりました。

遺族たちに負担を掛けないようにとの配慮から、葬式は出さなくてよい、墓は建てなくてよい、戒名はいらないと考える人も出てきました。生前に配偶者や子供たちに自分の希望を伝え、遺言として遺しておく方法が取られます。遺された遺族は故人の希望通り葬儀をせず、戒名を付けず、墓も建てずに遺骨はすべて散骨するか、火葬場に取りに行かずに済まします。

その結果、遺族の中にはこれでよかったと思う人がいれば、一抹の寂しさを感じる人もいます。人の気持ちは一様ではありませんし、日々変化もします。大切な人が亡くなり、辛く、悲しく、寂しい気持ちを癒してくれるのが供養という方法です。

葬儀、墓、戒名それぞれは供養として行われてきた方法にほかなりません。供養は亡くなった人の為ではなく、遺された者の気持ちを癒すための手段といえます。

生前に、葬儀はしなくていい、墓はいらない、戒名も付けなくていいと言って、それを強いることはエゴイスティックな考え方ということになります。自己完結型人間にはそのような傾向があります。

先祖を供養するという行為は、自身の気持ちを整理し、生きる意味を考え、人との繋がりを確認し、心に安らぎを感じ、豊かな人生を歩むために大切で必要不可欠なものと言えます。

十輪院 住職 橋本純信