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こころの便り
2013/01/15
魂入れと魂抜き

新しい仏壇を購入したので魂(たましい)を入れて欲しい、古い位牌を処分したいから魂を抜いて欲しい、あるいは墓を建立したのでお性根(しょうね)を入れて欲しいなど、僧侶にとっては日常茶飯事に依頼されることであります。

 

魂を入れることを開眼(かいげん)、魂を抜くことを撥遣(はっけん)と専門用語では申します。

「眼を開く」「お帰りを願う」といった意味を持っています。性根は「根性」と同じような意味で、「こころ構え」「こころの持ち方」から転じて「魂」と同義語に使われています。

 

このような時の「魂入れ」の魂とは何を指すのでしょうか?おそらく仏像の魂、先祖の魂に決まっているという答えが返って来ます。一般人だけでなく、そのように答える僧侶も多いようです。

果たしてそうでしょうか?仮にそうだとすれば、この仏壇、この仏像、この墓石等々に魂が入っているか否かをどうやって判断するのでしょう。きっと「僧侶に入れて貰ったから入っているに決まっている」という返事が帰って来ます。しかし、魂が入っているかどうか知らない人には判断できません。そこでまた、「魂というのは目に見えないものだから、判断できなくて当たり前だ」という少々気の荒い返事が帰って来ます。当然、魂が入っていることを知っている人と知らない人では捉え方が異なりますが、拝んでいるのだから魂が入っているに違いない、と思い込む程度です。

 

この「魂」とは、実は拝む本人その人の魂に他ならないと考えた方がいいと思います。僧侶に魂入れをお願いするのは、自身の魂が仏像、位牌、墓石に入れて貰ったという気持ちを確かなものにするための手段となります。もちろん自分で魂を入れることも可能です。入れたことを知らない人は相手の気持ちに敬意を払うのは当然のことであります。

 

仏像、位牌、墓石などにはすべて自分の魂が入っていると捉えるのです。それらは自身の魂を映し出すのが本来のあるべき存在なのですから。つまりは自身の中にある仏心を拝むのだと言えるでしょう。

十輪院 住職 橋本純信