〒630-8312 奈良市十輪院町27
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ごあいさつ〜ごあいさつ・沿革〜

ごあいさつ

戦後70年、世の中は成長期が過ぎ、今は成熟期といわれています。
しかし、将来に向けては希望より不安を抱く人が多いのも事実です。今までは経済発展が人々を幸せに向かわせる唯一の手段と考えられてきました。今でもそのように主張する人がたくさんいます。経済は重要です。
しかし、何のための経済発展かを真剣に考えなければならない時期に今私たちは立たされています。
つまりは真の幸福とは何かを追求する必要があります。幸せとは抽象的なもので、人それぞれ感じ方が異なりますが、自身がどんな立場におかれても幸せと実感することが真の幸福といえます。
その方法論を説いているのが宗教(仏教)です。これからは宗教が経済と関わり合いながら人々の幸福を追求していく時代だと思います。

十輪院 住職 橋本純信

十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置し、静かな奈良町の中にあります。
寺伝によりますと、当山は元正天皇(715‐724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、また、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられています。
沿革の詳細は明らかではありませんが、鎌倉時代、無住法師の『沙石集』(1283)では本尊の石造地蔵菩薩を「霊験あらたなる地蔵」として取り上げられています。
室町時代の末期までは寺領三百石、境内は1万坪の広さがあったようですが、兵乱等により、多くの寺宝が失われました。
しかし、江戸時代の初期には徳川家の庇護を受け、寺領も五拾石を賜り、諸堂の修理がなされました。明治時代の廃仏毀釈でも大きな打撃を受けましたが、現在、当山の初期の様子を伝えるものとして、本尊の石仏龕、本堂、南門、十三重石塔、不動明王二童子立像、それに校倉造りの経蔵(国所有)などが残っています。
近年は、昭和28年本堂の解体修理から、平成8年防災施設の完成により、諸堂宇が整備され、境内は寺観を整えることができました。

十輪院とブルーノ・タウト

ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)は、1933年より1936年まで日本に滞在し、その間多くの日本建築を見て回り、日本美の素晴らしさを世界に広めました。
中でも桂離宮を称賛しました。十輪院については彼の著作『忘れられた日本』(中公文庫)の中で、「一般に外国人は、官庁発行の案内書やベデカーなどに賞賛せられているような事物に、東洋文化の源泉を求めようとする。しかし奈良に来たら、まず小規模ではあるが非常に古い簡素優美な十輪院を訪ねて静かにその美を観照し、また近傍の素朴な街路などを心ゆくまで味わうがよい。」と述べています。

十輪院と森鴎外

森鴎外(1862-1922)は軍医でありながら、小説家としても有名ですが、帝室博物館の総長時代、奈良に来ては古い寺々を巡っていました。
短歌も好み、『奈良五十首』を詠んでいます。その中に、「なつかしき十輪院は青き鳥子等のたずぬる老人(おいびと)の庭」という歌があります。